1997年からのお出かけレポです。時代により制作方法が違いお見苦しい、読みにくい箇所が多々あると思います。できる限り現代版に合わせるよう作業していますが、過去に頂いたコメント等が消えてしまうこともあります。ご容赦いただけたら幸いです。

九州・四国 ぐるっと4221.4kmの旅 22 (四万十~須崎)

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眼下に沈下橋と鉄橋が見えた。四万十川と言えば沈下橋。その沈下橋と鉄橋が並行しているならば、それは夫の好きなポイントに違いない、と思う間もなくハンドルは切られ、D5は坂を下って行った。

沈下橋が見えた第一三島沈下橋第一三島沈下橋
四万十川本流の沈下橋は小さなものから大きなもの22橋あるらしい。この沈下橋は第一三島沈下橋といい、予土線鉄橋と並行してかかっている。鉄橋も見上げるほどのかなり高い位置にあるが、沈下橋も他の橋に比べてずいぶん高い位置にかけられているようだ。この橋が沈むほど水量が増えることがあるのかと想像すると恐ろしい。
橋には、わたしたちのほかに子ども連れの夫婦、定年後だと思うご夫婦、ひとりカメラを構えている人がいた。
高台にはトイレや東屋もある。ここは撮影ポイントとして有名だったのだろうか?
中州を走る川を渡った対岸に道が続いていたので、元の道へは戻らずに走り出した。ナビにはない道、どこまでいけるのか恐る恐る進む。

対岸と思った場所は三島といい、四万十川でいちばん大きな中州でキャンプ場もある。沈下橋、中洲、そしてキャンプ場って、わたしの脳内ではつなげちゃい けないもののような気がするんだけど、ここでは存在している。不思議なこともあるもんだわ。この中州へは橋が出来るまで、渡し舟が交通手段だったそうだから、橋によってずいぶん生活が 変わったのだろう。でも、そんなにまでして中州に暮らすっていうのはどうしてだったのだろう。
とてもきれいだった道は突然川と崖に挟まれた細く暗い道へと姿を変えた。どうやら中州を通りこして、本当に対岸に渡ってしまったらしい。この道はどこへ続 いているのだろう。ナビをいくら拡大アップにしても今走っている道は表示されない。わたしたちはどこへ連れて行かれるのだろう。
川を挟んで通りたい道が対岸にずっと続いている。ふるさと交流センターでは、キャンプを楽しんでいる人たちの姿も見えた。なかなか対岸へ渡ることができず、やきもきする。

昭和大橋やっと出てきた昭和大橋を渡って、38号線に戻ることができた。

四万十川って、いわゆる四万十川として紹介されている川とはずいぶん表情が違う。長い川のどれくらいの部分があのとうとうと流れる川なのだろう。

こいのぼりの町?16時近くなり、十川に入った。十川といっても川ではなく高知県高岡郡四万十町十川という地名。四万十川から四万を取った地名ってどんな由来があるのだろう。それとも十川があって四万が付いたのだろうか。
雨がばしばしと降ってきた。
四万十川から対岸の山を上って行くような、ある意味正当とも言える壮大な鯉のぼりも、ちょっと重たく淋しげな様子に見えた。
その鯉のぼりとは趣を異にする、雨でも陽気でポップな鯉のぼりの姿もあちこちに見られる。十川は年中鯉のぼりの町なのだろうか。外灯のデザインにも建物の壁にも鯉のぼりが描かれていた。帰宅後知ったが、ここ十川がこいのぼりを川に渡した最初の場所らしい。

四万十川とお別れ四万十川下流四万十川は、その有名な姿へと姿を変えてきた。聞いた事のあるキャンプ場の名前も見えた。
そろそろ四万十川とは別れることになるので見納めに、橋の手前で曲がる予定を変更して、橋を渡る。橋の上から、今日一日下ってきた四万十川に一応別れを告げた。
四万十川沿いの道は結構狭くて、カナディアンカヌーを載せては通りたくないと思っていたけれど、下流ならば道幅もひろいのかな。

狭い道にトラックが!と思ったら、川と離れてもまた狭い道。しかもトラックが道幅いっぱいですれ違いにも大変なことに…。途中、道を譲ってくれたので助かったけれど、川沿いダウンリバーと言えども最後まで気が抜けなかった(笑。

有名らしい沈下橋の案内標識が出てきたけれど、へそ曲がりなわたしたちらしく素通りする。

四万十川も海へ17時を過ぎて、四万十川とともに海に出た。
しばらく海沿いを走り、街へと向かう。

激安酒店があったので、旅の間に飲んでしまいそうな栗焼酎の代わりのおみやげを探してみることにした。四国の栗焼酎の一升瓶を二種類と、ビール(発泡酒)も 一箱購入。ゴルフワゴンで今回の旅だったら出来ない芸当だと喜ぶ。この旅でなぜ箱買いしなかったのか、今更「?」になってしまったけれど、まぁ よしとしよう。

国道56号線は高速道路のようにみんな飛ばしている。流れに乗らないといけない。しかし、不思議とナビの到着時刻が変わらないのは、この速度で計算されているってことなのだろうか?

伊与喜18時 山の影に日が隠れつつある。

伊与喜では、伊与木川にたくさんのこいのぼりが泳いでいた。今では、全国各地で年に一度不要になったこいのぼりが集められて気持ち良さそうに泳いでいる。それだけみんな新しいものを揃えるということなのだろうか。代々の縦のつながりとか、親戚知人の横のつながりで、こいのぼりの居場所が移ったらいいのに。そう考えると、この集められたこいのぼりたちの風景は淋しい景色に思えてしまうけれど。

ゼネラルでガソリンを入れる。持ち運んでいたゴミを捨ててもらえて助かった。

パセ&ポプパセリはピローにうずもれてぐっすり。ポプラはなにか気になるのか、監視中。

お風呂候補地のひとつ「ニュー佐賀温泉」に車を滑り込ませた。鄙びた雰囲気の建物だった。しかし、国道沿いで通る車も駐車している車も多く、まだ温度も高いのでパセ&ポプを留守番させるには早い、とここはパスすることにした。
次の候補に向けて走る。

18時半くらいになって17度になる。やっと涼しくなってきた。
19時前に黒潮本陣に到着。すでに日が翳りはじめていて、ますます涼しい。パセ&ポプが車で待っていてもまったく問題ない温度まで下がっている。
駐車場の端に駐め、ダッシュでお風呂へ向かう。黒潮本陣は宿泊施設がメインのようだ。宿泊する施設としてはとくに記すほどのことはないようだけれど、お風呂だけの施設とは違ってお風呂場までが、廊下などの造りもゆとりがあって立派にできている。夜風に拭かれながら港を見下ろしてくつろげるスペースもある。しかし、わたしちはのんびりしている時間はない。早くお湯を浴びてパセ&ポプの元に帰りたい。だから、かえってこの長ったらしく遠い廊下にはげんなりした。やっ と浴場に到着すると、入り口前に貴重品ロッカーが並んでいてその前で何人もの人たちがロッカーを使用するために立ちふさいでいる。その人たちの脇を縫うようにして、引き戸を開けて入る。すると、建物の割りにかなり狭い脱衣所で、込み合っているため着替えるときに隣の 人と触れてしまうほどだった。内風呂のシャワーや椅子・洗面器も足りていなかった。わたしは運良く使うことができたけれど、洗面器などが空くのを待っている人もい て、落ち着かないことこの上ない。
露天風呂はなぜか空いていたので、露天に出た。暗闇の中に灯りの付いた港、遠く船も浮かんでいる。時間に余裕があるならこの景色をのんびり眺めながら浸るのは悪 くない。しかし、わたしには待っているパセ&ポプがいる。露天で身体を温め、内風呂には浸からず、早々に出ることにした。備え付けのドライヤーは最近見かけなかった有料でびっくり。持参して来たドライヤーで髪の毛を乾かす。一瞬、持参したドライヤーは使えない?といぶかしく思ったが、ドライヤーを使うコンセ ントは用意されていた。洗面台も4つほどしかなく、順番待ちをすることになる。もしわたしがここに宿泊していてこのお風呂の状態だったら、二度と 泊まらないだろう。とは言いつつ、物心ついてから、家族旅行はもちろん学校の旅行でも、ほぼ大風呂には入らず部屋のお風呂に入るタイプだか らあまり関係ないか(苦笑。


黒潮本陣
19時45分、ほてった身体で外に出るともう真っ暗だった。夜風が気持ちいい。
車に戻ると、夫はもちろん戻っていて、すぐに出発すると言う。
ホテルの人に近くのスーパーの場所を聞いてきたそうだ。
外灯のない、暗く狭い道を走る。
しかし、地図まであるのにそのスーパーが見つけられない。夫の勘で違う道へ入ると、明るく輝くお店が現れた。店舗の前の3台ほど停められるスペースに車を停め、ちょうど歩いていたおばあさんにこのあたりのスーパーのことを聞くと、「この店しかない」と言う。
狐につままれたような気もしながら、小さなスーパーに入って行った。
予想外にお惣菜はあり、かつおのたたき、まぐろ、ごぼうサラダ、なすのたたき、むつみやそうめん、冷えたビール(箱で買うと冷えてない!)、そしてなぜか夫が選んだオムライスランチAを購入する。
レジの女性に「むつみやってなんですか」と聞くと、この辺りでは有名なお店のおそうめんだと説明してくれた。そして保冷用の氷もたくさんもってきてくれた。狐でもいい、-本日最後の一期一会。気分の良い買い物をさせてもらったことに感謝する。

20時半には、道の駅かわうそに到着。

車中泊らしい車が何台かいる。
車を駐めて、カーテンなどを閉めて準備をしていたら、隣の隣の駐車スペースにハイエースが入ってきた。エンジンをかけっぱなしにして、とてもうるさいので場所を移す。

パセ&ポプごはん、乾燥野菜をもどし、レトルトのお肉とお刺身。

なすのたたきって何かと思ったら、なすを素揚げしたものに青ネギ、たまねぎ、みょうがの薬味を散らしてポン酢をかけたものだった。
そして、カツオのたたきは炭の香りがする本物だった。千葉に帰ったら、カツオは食べられなくなってしまうかもしれない。おいしいものをいただくというのは幸せなことなのか、不幸なことなのか。
「あのときは良かったなぁ」なんて考える生き方はしたくない。だから、なるべく身の程を低くし、背伸びをした生活はしないように心がけているつもり。
でも、おいしいものは、ダメだ。各地旅をしておいしいものを食べてしまうと、あのときは良かったなぁ、と思ってしまう。
そういえば、ここ高知で以前いちおう名の通っているらしい料理店で皿鉢料理などもいただいたことがあるけれど、わたしたちの口には合わず、お店を出てからお鮨屋さんでも探したくなってしまったことがある。地元の人向けのスーパーの方がよっぽど美味しいのかもしれない。

旅も10日くらい過ぎると、それが日常になってくる気がする。これまでも1ヶ月とか2ヶ月という旅をしたことがあった。そのときどうだったか、今となっては思い出せないけれど、やっぱり1週間か10日くらいでそのパターンに馴染んだのじゃないかと想像する。
日常になってしまうと、記憶する能力も旅用ではなくなってしまう。つまり、そうあまり覚えていない、ということが言いたかった。

この夜、多少温度が高かったので、モスキートネットにして少し窓を開けて寝ることにした。これはメモに書かれていたことである。
これ以上、この日のことは覚えていない。多分、カツオのたたきやまぐろをおつまみにしてビールを飲み、ぐっすり寝た、はず…。

2009年5月6日のおおざっぱなルート

2009年5月6日のおおよそのルート
走行距離は、だいたい280kmくらい

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