1997年からのお出かけレポです。時代により制作方法が違いお見苦しい、読みにくい箇所が多々あると思います。できる限り現代版に合わせるよう作業していますが、過去に頂いたコメント等が消えてしまうこともあります。ご容赦いただけたら幸いです。

九州・四国 ぐるっと4221.4kmの旅 21 (仁淀~四万十)

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6時になって起き出した。空模様よりなによりいちばんにごはんをチェックする。
茹でただけの竹の子はやはり傷んでいた。煮物は問題ない。あぁ、全部煮てしまえば良かった、と今更嘆いても仕方ない。竹の子に悪いことをしてしまった、懺悔である。

あさごはんとおべんとうをつくる大根の葉ごはんを炊き(炊くのは夫)、ひとつ残しておいたお刺身で朝ごはんにする。昨日煮た竹の子とぜんまいは味付けを濃くしてお弁当にもすることにした。
お弁当は、大根の葉ごはんと竹の子とぜんまいを混ぜた混ぜごはんと、大根の葉ごはんの脇に竹の子とぜんまいの煮物を七ツ鉢入子のめんぱに詰めた。小梅の梅干の種を除いて添える。

他のキャンパーは撤収が早かった。GW最終日だから渋滞を避けて早めに出るのだろうか。搬送の手段がないカヤッカーは今日もタクシーを利用してダウンリバーへと出発していったようだ。

のんびり撤収人影もテントの姿もなくなった河原。
本日もわたしたちは他の人たちのペースと明らかに違ってのんびりしている。

カーサイドリビングを固定していたペグのうち二本が、うんともすんとも動かなくなっていた。横に叩いても、蹴飛ばしても、ぴくりとも動かない。細かくゆすってゆすって、なだめてすかして、やっと動き出した。まるで駄々をこねる子どもみたい。 出てきた姿は、きれいなカーブを描いたペグとは思えない創作物になっている。これではクロモリペグの長所、重ねて収納なんてできない。それどころか、二度とペグとして使用できない代物だ。夫と河原に響くような大笑い。夫は手頃な石を探し、鍛冶屋のように叩いて元の形に戻し、他のペグと一緒に重ねてペグ入れに収めた。

仁淀川で仁淀川で仁淀川

撤収を終えてから、パセ&ポプと少しだけ川遊びに興じる。
川の水は想像以上に冷たく、水がくるぶしを超えると悲鳴をあげてしまう。夫とポプラはずんずんと川の中に入っていく。ポプラは寒さ暑さに超弱いくせに、こういうのは平気なのはなぜだろう。水に入るのが嫌いなパセリは、すぐに出てゆく。

川を渡るししたろJEEPが渡って行った場所、夫は自分の足で歩いてゆく。

膝下の水位であっても、川は怖い。
以前パセ&ポプを抱いたまま流された経験があるので、未だに川の流れの中に立つことには緊張する。トラウマになって入れなくなってしまったわけではないし、あの気田川での経験はその後のための良い教訓になったのだと思う。
夫も流芯を確認して、渡ることなく戻ってきた。

11時過ぎ、仁淀川に別れを告げて出発した。

今日は四万十川源流からずっと川沿いダウンリバーの予定。

まずは源流地点に向かう。
45分ほど走ると、ナビやツーリングマップルに載っていた「源流地点」とは違う「源流地点」の案内が出てきた。頭が混乱したので、偶々その分岐にいたおじさんたちに訊ねてみる。案内板に出ている源流地点の場所を教えてくれ、ここまで来たのなら、源流は是非見たほうがいい、とアドバイスしてくれた。たぶん、四万十へ流れ込む川はたくさんあり、源流もいくつかあるのだろう。ということで納得することにする。
四万十川源流道は舗装されていて全く問題なく登山口に到着した。
源流点には、その登山口から25分くらい登って行くらしい。自然の杖入り口脇の木の根元には杖にぴったりな枝が何本も立てかけられていた。きっと、源流地まで登山する人のためなのだろう。ストックは常備してあるけれど、パセリに無理をさせるのは禁物だし、ダニがいそうな雰囲気だったし、わたしたちにとってはここを源流地点とすることに。
四万十川源流源流地点まで行って来たらしいカップルがちょうど戻ってきた。

「いや、なかなか結構、きついです」

行かなくてよかった(苦笑。

源流地とは関係なく急傾斜の崖にへばりつくようにしてなにかを採取しているおじさんがいた。下で心配そうに見上げている人たちもいる。いたどりや山うどなどをを家族で採りに来たそうだ。
昔はがたがたの未舗装路だったけど、採りに来てたんだよ。この辺りはもっと石楠花もあったんだけどねぇ、すっかり変わっちゃった。とおじさんはちょっとぼやくように話してくれた。
わたしたちが千葉から来ていること知ると、「やっぱり特別高速料金1000円の影響はあるんだなぁ」と独り言のように、誰にともなくつぶやいている。1000円だから来たわけではないし、1000円じゃなくても来ちゃいますよ、とは言わなかったけど、そっか、勘違いされるのね。まぁ、いくらへそ曲がりでもわざわざ通常料金を払おうとは思いませんが…^_^;

四万十川源流源流の水、そのままでも問題ないかもしれないけれど念のためデリオスで浄水。丸みがあって甘い。広い四万十川にもなれず、海にも行けず、飲んじゃってごめんね。

森が一滴を作ってくれる。
本当の源流点に行けばそれをもっと実感したかもしれない。でも、ここでも十分にその一滴が田畑を作り、私たちの喉を潤し、生活を支えてくれている大切なものだと気付かせてくれると思う。
四万十源流碑建立由来にも書かれていた。
『此の流域に暮らす四国西南地域の人々は美しきシ・マムタの天恵に感謝し亦その脅威と戦い乍ら今を生きている。』

そういえば、寺田寅彦氏は「土佐の地名」で四万十のことをアイヌ語から、
「シ」-甚だ
「マムタ」-美しき
と解釈していた。

なんで四国の地名がアイヌ語から?と不思議に思うのだけど、四国にもアイヌ民族がいたという説もあるらしく、アイヌ語由来の地名も多いと言われているらしい。

どちらにしても最近は、平成の大合併や改悪改名で、こういった解釈がまったく出来なくなった市町村名などが増えているから、由来などを探ることができなくなってしまったのはとても残念に思う。

さっき作ったばかりの気がするけれど、ここでお弁当を食べることにした。

四万十川のはじめ13時過ぎ、源流から四万十川沿いを下ってゆく。

『せいらんは清き流れの贈りもの』
川の脇に書かれていた言葉。
せいらんって青嵐?青藍?
四万十源流センター「せいらんの里」という施設があるけれど、こちらも平仮名でどんな意味が込められているのか読み取れず…消化不良状態になってしまった。

道が狭くなった中土佐町。

2車線がいきなり一車線になった。上流から中流へと向かって川とともに道も広がるかと思いこんでいるところがあったから、この展開には少々びっくりしながら 欄干のない橋も渡る。これも沈下橋のひとつだろうか。と思ったけれど、橋は土手の高さだった。
この橋が沈んだら集落も沈んでしまうわね。

寺田寅彦祖先の墓地屋敷跡地記憶が薄くなってしまったけれど、うっそうと繁った木々の暗い場所に寺田寅彦祖先の墓地屋敷跡地を知らせる案内板が立っていた。
祖先の墓地や屋敷の跡地?
「村文化財(史跡)として永く保存をはかるものである。」と書かれているけれど、この案内板が立てられているの場所と、案内板の痛み具合からも跡地を想像してしまうし、大体300m先としか書かれていなくてどこなのかまったく不明だった。祖先のお屋敷なら別に興味もないしねぇ。でも、『天災は忘れた頃にやってくる』ではなく、観光客は忘れた頃にやってくるかもしれないのだから、もう少し案内が欲しいかな。ちなみに寺田寅彦記念館は高知駅近くにあるらしい。
四万十川 なにかいる!四万十川も育って、大分広い川になってきた。と思ったら大きくカーブしている場所できていた淵だった。車を停めて、ポプラじゃないけど魚がいるか覗く。黒い物体が見える、と夫が言う。
双眼鏡で覗くと、確かにいる。黒い鯉?
一度確認できると裸眼でもその黒い生き物が蠢いているのがわかるようになった。しかも、どんどん集まってくる。もしかしたら、向こうもこちらを見ていて怪しく思い仲間を集めたのかもしれない。遠いからいいけれど間近で見たら背筋がぞっとしそうなほどだった。

打首獄門に処す!四万十川は、岩に囲まれ石が散らばる細い川に変わった。

『この川を汚すもの打首獄門に処す』という立て札。
そうだ、そうだ! 川だけじゃなくて、吸殻のポイ捨て、粗大ゴミなどなど、山や街も汚す者は極刑だ! 四万十川だけじゃなく、日本全国で展開してほしいわ。

高岡神社高岡神社(仁井田五社)

鳥居がいくつも出てくるなぁ、と思いながら進んでいると、大きな案内図があった。
『天長3年(西暦826年※richa記)弘法大師が四国霊場の札所として境内に福円満寺を創建し五つの社に分け、一の宮に不動明王、二ノ宮に観世音菩薩、三ノ宮に阿弥陀如来、四ノ宮に薬師如来、五ノ宮に地蔵菩薩を祀り神仏習合の五社大明神とした。(「高岡神社(五社)の由来記」より)』
へぇ、神仏習合!?とここで関心を持つところじゃないでしょっていうところに惹き付けられてしまう。しかも、そんな時代から札所があったなんて…。無知にもほどがあるので少しお勉強^_^;。

四国霊場八十八カ所は、讃岐(香川県)に生まれた空海(弘法大師、774年~835年)が修行を行った地として伝えられる寺々のことで、大師の足跡を訪ねて八十八カ所を巡礼することを四国遍路という。
四国遍路の起源は平安時代の修行僧といわれ、室町時代から江戸時代初めにかけて一般庶民にも広がり、現在に至るまで絶えることなく続いている。
徳島県の1番札所霊山寺から香川県の88番札所大窪寺まで四国遍路の全行程は約1,400kmに及ぶ。(歴史分化道さんより)

15時、道の駅四万十大正に立ち寄った。
とても道の駅とは思えないほどこじんまりとしている。10席ほどの食堂という雰囲気のレストランとその脇のスペースにおみやげが陳列されていた。
きれいなトイレを拝借して早々に出発してしまったが、ネットで道の駅の情報を見たら多目的広場や 野外ステージ、アスレチックまであると書いてあった。どこにあったんだろう???

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