5時半起床。
渡瀬みどりの広場キャンプ場を改めて見渡す。
昨日は暗くなってからの到着だったから、ほとんど周りがわからない、と思っていたけれど、明るくなってから見てもその全景は変わらなかった(笑。
広場の真ん中に、石を積んだファイアーサークルがどんと鎮座している。イベントでも使われる広場なのかなぁ。そういう目的で使うとすれば、手狭に感じるキャンプ場。
朝ごはんは、車外で食べることにした。
ずっとエンジンを掛けて奥に停まっていたステップワゴンは、車で移動してきてゴミを捨て、そのまま6時頃にはキャンプ場を出て行った。
バイクもテントを撤収し、6時半にはいなくなっていた。
みんな早い。
早い出発と言っていた我が家と、トレーラーに宿泊している人たちだけが残っている。
キャンプ料金を払うと、領収済みの青い紙を車に貼ることになっている。
トレーラーから覗く人たちがいた。料金未払いで勝手に泊まっていると勘違いされたら嫌だな(苦笑。
7時半にキャンプ場を出発した。
早く出発、と思っていたけれど、他の人たちより大分のんびりした出発時間だった(苦笑。
北山川沿いを走る。
流れているのだろうかと思うほど静かな川。
濃い緑の山と山。その間は、山の緑を映した水面で埋まっている。まるで湖のようだ。
瀞大橋を渡り川を眺める。
釣りのボートが静かに出て行った。
カヌーは見当たらない。
この上流には瀞峡があって、観光用のジェット船やジェットスキーなどが通っているらしい。カヌーを出している人たちも多い流域のはずだ。が、その場にいたときは、そんな場所に自分たちがいることに気づいていなかった。
やはり突発的な行動は無駄が多い。ときに無駄は発見にもつながるけれど…。今回はどうだったのだろう。もし、気づいていても立ち寄る時間は持ち合わせていなかった。行けてもカヌーは持ってきていないので瀞峡に出ることはしないだろうし、見るだけなら行かなくてもいいという判断をしたかもしれない。
ナビにキャンプ場のマークを見つけて往復20kmの行程を見に行くと言う夫。
暗く細い、じめっとしたトンネルを抜け、くねくねと曲がる山道を進むと、集落が現れた。集落を抜けたところがキャンプ場だった。
料金表はあるが、トイレなどの施設が見当たらない。河原へ降りて見た。
川まで遠い。敷き詰められた小石が一面に広がっている。
子供の頃に伊勢神宮へ初詣に行ったことを思い出した。まだお日様が昇る前、伊勢神宮の選別された砂利の上を音をさせながら歩いていく。子供心にも厳かな気分が漂ったものだった。
山に囲まれた広い河原の真ん中にぽつんと立っていると、不思議な感覚になる。
アニミズムの精神は、こんな場所にいるとものすごくよく共感できる。そしてパワースポットとしても感じることができる。
万人対応のパワースポットもあるけれど、自分だけ、あるいは自分たちだけが共鳴できるパワースポットもある、と思う。
通ってきた道を戻るしかないと思ったが、舗装されている道が続いている。どこかに抜けているのかもしれないと期待をこめて進んで行った。
しかし、願いは無残にも叶わなかった。どん詰まりの場所まで行って一枚の看板が出てきた。看板を見ずとも行き止まりなことはわかる。道がつながっていないならもっと早くに書いておいて欲しい。キャンプ場にたどり着く前に通り抜けた集落以降、家は一軒もなかった。なんのためにこんな舗装道があるのだろう。どこかの道へとつなげる計画が頓挫してしまったのだろうか。
すごすごと今来た道を戻っていく。とは言え、往きと復路では景色も違う。往きには見えなかった蛇行する川の様子がはっきりと見えた。
トンネルが、別世界への出入口だったようだ。
熊野古道の一部を車で通る。
間違って旧トンネルへ入ってしまった。車幅いっぱいいっぱいで、通れるのかドキドキものだったけれど、かえって古道らしい風情だった。
スーパーカブの荷台の籠には、収穫してきたばかりらしいみかんがゴロゴロ入っている。
真正面にそびえる山から滝が落ちていた。
昭葉樹の山は明るく開放的だった。根拠のないイメージだけれど、北欧の雰囲気がする。
対照的に針葉樹で覆われた山々は、重く日本の神かがり的に感じる。熊野神社があったり、伊勢神宮がある、と知っているからそう感じてしまうのだろうか。それとも元々この地にそういう力があったから神社や神宮が建てられたのだろうか。
差し迫った問題は、高速まで、海沿いを行くか、山の中を一気に向かうか。
早いのは山の中コースだった。
しかし、それではあまり味気なく、もったいない気がした。
志摩湾フェリーはどうだろう。
ネットで検索すると、今年の9月に完全撤退と書かれているではないか。
乗るしかないでしょう^^
電話でフェリー会社に問い合わせる。予約もいらないらしい。今日はがらがらです、とも言われた。
まっすぐフェリーターミナルに向かっても、11時50分出港の便にギリギリ乗れるか乗れないか、という時間だった。
ここで急いで、事故でも起こしては元も子もない。
13時の便にしよう、とのんびり向かうことになった。海際から少しばかり離れて山の中を走る。
パセ&ポプの散歩のために、まだオープンしたばかりの道の駅熊野きのくにに立ち寄る。
木の台の上に竹の子や夏みかんが並べられている最中だった。運び込まれたばかりの新鮮な竹の子は大きい。
大きな竹の子を二本と、キャベツを購入する。今日中に帰宅するという実感が沸いてくる。
裏に流れている大又川にはこいのぼりが風に揺れていた。
水を覗くのが趣味のポプラは、ここでも夫と一緒に橋の上から川を覗く。道の駅の隣に併設されている木工館はまだオープンしていなかった。大小の切り株を庭に置いたらどうだろう、と立ち止まって思案したけれど、スタッフがいなくて良かった。もしいたら、ひとつふたつ持ち帰るはめになっていたかもしれない。パセ&ポプの運動も少しばかりできた。
尾鷲市に入り紀勢本線沿いを走り、道の駅海山が出てきた。次回来るときのために資料集め、とわたしだけ下りてみた。
ツアーでもあるらしく、リュックを背負い、歩く支度をしているたくさんの人たちが集っている。
紀伊半島のこの時期の花は、フジばかりが目立っている。道端のたんぽぽの姿も少なく感じる。
前を行くバスの広告スペースは虚しさばかりが強調されている。バスの案内や関連会社の広告なりで埋めることはできないのだろうか。
宮川沿いを行くか、熊野灘を眺めながら走るか、これもまた究極の選択だった。もし紀伊半島にカヌーを持って訪れたら海沿いを走るチャンスは少なくなるかもしれないし、海の景色の方が明るくていいという意見の一致で海沿い、近鉄志摩線沿いを進んで行くことになった。
あれほどニュースで騒がれた(消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件)赤福は今でも健在な様子。電柱にずらずらと赤い看板が目立っている。
ところで、さっきから気になる風景がある。
すべての家ではないけれど、玄関にこの時期でも注連飾りがついている家を多く見かけるのだ。
注連飾り【しめかざり】
伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが掲げてあるのが目につきます。中央に「蘇民将来子孫家門」あるいは「笑門」「千客萬来」などと墨書きした門符 (木札)が付き、左右にシデやウラジロなどを飾った太い注連縄です。正月の注連縄飾りは普通は松の内が過ぎればはずすのが一般的ですが、伊勢志摩では、一 年間かけたままで過ごす風習があります。
それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけ ておけば、子孫代々疫病から免れると言い残した」という伝説があるからです。蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうで す。つまり、家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符です。
ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。伊勢市観光協会/ものしり情報より
なるほど! と納得したのは帰宅後、しかももう夏の日差しを感じるころになってからだった(苦笑。
先を急ごう。
フェリーターミナルを確認して、お昼を買いに行く。
戻ってくると先客が1台入っていた。車を列に並べて停め、チケット売り場のある2階へ行く。階段を上っていくと、がらんとした待合所とおみやげ売り場、そしてチケット売り場のカウンターがあった。これまで乗ったことのあるフェリーで混雑してごった返しているところはなかった(いつも閑散期に利用するからだ)が、ここまで閑散としているのもなかった気がする。カウンターには女性がひとり座っていた。ネットでJAF割引があると読んでいたので聞いてみる。丁寧に、割引はないと言われた。高速料金の値引きのせいでこのフェリーはなくなると聞いていたけれど、違う原因もありそうだ。
お昼はフェリーターミナルの中の方が「らしい」ものが売っていた。おみやげ売り場には、赤福のコーナーもあった。夫はやはり「赤福」が食べたいと買っている。
鳥羽から乗船する車は10台ほどだった。
これまでわたしが経験したフェリーでもかつてないほど余裕のある停め方をする。バランスよく左右に振り分けられ、中央のスペースはバドミントンもできそうなくらい広く空いていた。
2番目に並んでいた我が家は向かって右端の一番前に誘導された。
犬はそのままとことこ連れて行っても平気だとネットに書かれていた。
トコトコとは連れて行かないが、抱いて上がって行く。
客室には入らず、甲板でパセ&ポプと過ごすことにした。
夫がパセリを抱っこしていると、ちょっとだけおろしただけなのに、ポプラが「だっこ~」とねだる。
約1時間の船旅は、パセ&ポプの写真を撮りまくっているうちにあっという間に終わってしまった。
次に紀伊半島を訪れるときはこのフェリーはないかもしれない。廃止しないよう嘆願されているという話も出ているそうだが、利用する人がいなければ存続は難しい。
伊良湖には定時に到着した。下船するともう、馴染みの「浜松」という案内が出ている。
もう帰ってきちゃったなぁ、という感覚。
まだまだひたすら千葉へ向けて走らなければならないけれど…。
渥美半島を遠州灘を望みながら走り抜けていく。
なぜか細長い半島を走るとき、のろのろの車が前方を走っていることが多い。やたら高速でそれに合わせなければいけないのも困るが、制限速度を下回る運転も安全運転ではない。
細く続くなだらかな丘陵地帯には、キャベツ畑が広がっていた。どこか三浦半島に似ている気がする。キャベツの産地として名を上げているのは、やはり気候や地形が似ているのだろうか。しかし、この時期のキャベツ畑の中には、さながら菜の花畑というような様相をしているところもあった。ニュースでキャベツが高騰していると聞いていた。収穫ができず花が咲いてしまったのだろう。
浜名湖の南、湖を左に、海を右に見ながら走ることは滅多にない。
国内の旅はほとんど車か飛行機なので、新幹線も数えるほどしか乗ったことがないし、これからもあまり乗る機会はないように思う。伊勢湾フェリーがまた利用できるなら話は別だが、わざわざこの地を訪れることでもない限り、このルートを使うことはなかなかないだろう。ゆえに、この景色はわたしにとって貴重なものとなるはず、たぶん。
浜松から東名高速に乗る。
前方には富士山が現れた。
もう日帰り圏内だ。
横浜町田から始まっていた事故渋滞は、近づくとともにその長さを伸ばしていた。
渋滞に巻き込まれる前にパセ&ポプの散歩をしよう。
鮎沢PAに滑り込んだ。PAもまだ混んではいない。
PAをぐるっと周って車に戻ろうとすると、傾いた太陽が富士山を照らしていた。
この後、車から降りるのは家に到着したとき。あともう少しだからね、パセ&ポプ。
毎回の旅で思うけれど、パセ&ポプが車にも酔わず、一緒に旅をしてくれることがとてもありがたい。今回の旅ももうすぐ終わる。病気も怪我もすることなく、元気で家に戻れることに心から感謝する。
この先は渋滞していた。
目の前には、おそらく山を満喫して帰宅する人たちを乗せているだろうアミューズトラベルのバスが走っている。
どの車もつかず離れず、進んでいく。われ先に、と他の車を追い越していく車もしばらくすると横に並ぶ。
先日開通した大橋ジャンクションのループを通って帰ることにした。
ループは、やはり高速道路とは思えないほどの急カーブだった。中央環状線山手トンネルを抜け、C2中央環状線へ。
トンネルや地下が、得意ではない。このルートはまるでゲームで走っているかのような錯覚をしそうなものだった。そして、できればこのルートは、もうあまり使いたくないかも(笑。
10日間の旅はあっという間だった。
何より長かったのは、帰ってきたからレポを書く旅(笑。
2010年5月9日のルート
600km
***
やっと、完了です。
長期間、細切れのアップで、すみませんでした。
また、この長い旅にお付き合いいただいた皆様ありがとうございました。
おかげさまで、家に到着したパセ&ポプは元気に家の中を走り回っていました。
しかし、帰宅後あまりはしゃき過ぎたためか、旅の方が快適だったためか(というのは冗談ですが)、3日後にパセリが体調を崩し、嘔吐と下痢という状態(パセリ、嘔吐と下痢で病院へ)になってしまいました。
原因は病院でもわからなかったのですが、やはり、私たち自身も最後の長距離ドライブはきつかったので、パセリにも辛かったのかもしれません。ケロッと治ってくれてホッとしましたが、これまで以上にパセ&ポプの体調に気を使わねば、と肝に銘じました。
大切な家族との楽しい時間を過ごすために、石橋を叩きすぎて渡らないこともある我が家ですが、自分たちだけの楽しみのために連れ回したり、パセ&ポプに無理をしいたりすることはしたくないので、これからもパセ&ポプ優先に、今まで以上に体調管理に気を配って、みんなで旅を楽しみたいと思ってます^^
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