1997年からのお出かけレポです。時代により制作方法が違いお見苦しい、読みにくい箇所が多々あると思います。できる限り現代版に合わせるよう作業していますが、過去に頂いたコメント等が消えてしまうこともあります。ご容赦いただけたら幸いです。

懐かしくも新鮮な長野放浪 05

この記事は約6分で読めます。

廻り目平廻り目平キャンプ場、金峰山荘のあるのは川端下集落。集落に入るときには場違いに思えるような立派で大きな鳥居があり、その鳥居をくぐってゆく。

この辺りは日本のヨセミテと呼ばれているロッククライミングのメッカらしく、奇岩で覆われた山が空に向かってそびえている。私が訪れたことのあるヨセミテはただの観光だったからか、これほど険しい景色とはほど遠い気がするけれど…。

ところどころ影になって凍った道にどきどきしながらも、残雪のまぶしさもあって明るい道を進み、目指す廻り目平キャンプ場、金峰山荘に辿り着いた。
駐車場から山荘方面へと車の走っている跡がついているので、D5でも上って行ってみたが、どうやらバギーかなにかの跡のようだ。積もった雪道をバックして戻る。

廻り目平で駐車スペースには二台、車が停まっていた。山に行っているのだろう。
真っ白でひと一人いないしーんと静まり返ったキャンプ場にパセ&ポプと歩いて行った。

うさぎが走った跡らしい足跡があちこちにある。

パセ&ポプもウサギのように飛び跳ねて、雪に足跡を沢山残した。

あっちにとことこ、こっちにとことこ。
パセ&ポプは並んで跳ね回る。

あとから来てパセ&ポプの足跡を見た人はきっと首を傾げると思う。

車中泊の旅の場合は、ドライブばかりでパセ&ポプにとってのお楽しみの時間が少ないから、せめてこんなところで罪滅ぼしをする。

駐車場で向いの奇岩を眺めながら、来る途中のスーパーで買ったおにぎりやサーモンフライでお昼にした。
こんな山の中で、なぜか大きなサーモンフライがとてもおいしい。

この辺りは鉱物採集も出来る。以前からとても興味のある鉱物採集。ここに来てもいいな〜。

今日は家に帰らなくてはならない。ショートカットする林道は通れないのだから遠回りのルートしかないし、のんびりしてはいられない。

そろそろ来た道を戻ろう。

さあ、戻ろう雪が消えたとは言っても、なるべく同じ道は辿らないというのがわが家のモットー。
遠回りルートしかないと言うのに、もっと遠回りする道を見つけて喜んで走って行く。


明野明野に出た。
八ヶ岳と南アルプスが見えていた。
そして、八ヶ岳が消えて富士山の姿が現れて来た。

この辺で家を建てるなら、どこがいいのだろう。妄想で車内は盛り上がる。

そういえばうちの親たちは東北か富士山の見える辺りに別家をと探していたときがあっ た。結局、別荘は建てず、ホテルや旅館にお世話になっている。建てておいてくれればパセ&ポプともゆっくりできたのに、とお門違いな不平を漏らしたり。

フラワーパークなぜか喉がかわいて仕方ないのでフラワーパークに寄ってみたが、自販機があるだけだった。
そして、遮るものがなにもない吹きっさらしの駐車スペース。

バイクで立ち寄ったらしい人も自販機でコーヒーを買って休憩していた。

しばしパセ&ポプと風に吹かれながら散歩をして、早々にまた走り出す。

金櫻神社〜昇仙峡山の狭い下り坂を降りて行くと、突然車が道の脇にびっしりと停まっていて、人がぞろぞろ歩いていた。なにがあるのだろう。

金櫻神社への初詣らしかった。
その名の通り、桜の美しい神社で、八重桜、染井吉野、枝垂桜、山桜など約600本が植えられているそうだ。「特に本殿脇の「鬱金(ウコン)の桜」は、黄金色の花を咲かせる金の成る木として知られ、桜を拝み水晶の守りを受けると一生涯金運に恵まれるとして全国各地からの参拝者で賑わっている。(MapFanより)」

桜の季節ではなくても、これだけ詣でる人たちがいるということはご利益があるのかもしれない。
しかし、私たちは素通りしてしまう。これだから、きっとご利益に縁がないのね(笑)。

思いがけず出てきた景勝地は秩父多摩甲斐国立公園内御岳昇仙峡で、観光地だった。きっと昨日は車は入れないくらい混んでいたのではないかしら。
御岳昇仙峡を数キロ離れた場所から見上げて眺められる施設があったので車を入れる。
出入り口にはこんな場所に似つかわしくない、ゲートがあり、時間になると閉鎖されるらしい。どうも走り屋さんがいたらしく、夜間は入れないようにしたよう だ。トイレを借りると、入り口で「ゴミは持ち帰り」という内容の夥しい張り紙に迎えられた。いやいやびっくり、と女子用に入って行くと、手洗い場にもべたべた貼られている。しかし、これはまだ序の口で、個室に入って上から下まで右も左も、張り紙だらけ。ものすごい不快感。
おみやげもの店に入って行くと、お客さんはいなくて、店員らしいおじさんが暇そうに「そこのほうとう3個で1000円だけど4個で1000円でいいよ」と声をかけてくる。

甲府千代田湖の脇をとおり甲府の街へと降りて行った。
甲府の街の向こう側に富士山がそびえている。

街に降りてから、パセリがじいっと見つめて来た。
ガン見している、と話していた。
(あとから考えれば、きっとこのとききっとなにか変だったのだろう)
ずっとずっと目を見開いてわたしたちのことを見続けていた。

高速にのったら旅は終わりと感じてしまうわたしたち。
もう少し旅がしたいと、高速に向っていながら横道に逸れた。

夕暮れのオレンジの光が車の中にも差し込んでいた。
普段、車に乗るとすぐに眠る時間、と寝てしまうパセリが帰路は窓の外をじっと見ていたり、私たちの方を見ていたりして寝なかった。
「どうしたの?」なんて、暢気にパセリに声をかけていた。
パセリの横顔が夕日に染まっていた。
馬鹿だ。あのとき、パセリは必死だったはず。それを気付いてあげられなかった。
気付いた所でなにができたかわからないけれど…。助手席から振り向いて声をかけるのではなく、隣に寄り添っていてあげたかった。

なにも気付かないまま、わたしたちは走った。
結局、あたりが闇になるまでした道を走り、暗くなったら景色も楽しめないので高速へ。

家に着いて、隣の実家に行った。
母が「おかえりなさい。疲れたでしょう? パセリ、顔つきまで変わっちゃって…」と言った。

実は旅にでる前から、少しパセリの顔つきは変わっていた。4月で14歳になるから年齢の故だと思っていたのだ。「旅に行く前からよ」と応えつつ、どこか胸騒ぎも感じていた。

数週間後、パセリはわたしたちのことがよく見えなくなってしまった。

この旅が、パセリにとって素晴らしい景色を眺められた最後の旅だったとは思いたくない。

だから、今回の旅もパセリが笑顔できれいな景色の中で楽しんでくれたこと、みんなで充実した時間を過ごすことが出来たことに感謝して、今回のレポを終わらせる。

このレポは結局半年以上経ってアップする事になってしまった。
画像編集ソフトをこれまで使っていたものから変更したくていろいろ試したりしたこともひとつの原因だった。

レポの最後が書けずにいたのが、いちばんの要因かもしれない。

パセリの突然とも思える変化に、精神的にもついていくことができず、この旅が原因だったのかと思って後悔したこともあった。
病院で検査したり、なにかパセリにとっていい変化を及ぼしてくれるものはないかと毎日毎日探していたこともある。
そうして、あの3月11日の震災が起きた。

気付いたら、もう8月が目前になっていた。

幸いにも、パセリはまた一緒に旅にも行ってくれてる。
まだまだ、パセリとポプラと旅をしたい、しますよ〜(*^o^*)

2011.9.3
と書いていてまた一ヶ月が経ち、9月の声を聞いてから最後のページをアップする事になってしまいました。
やっとアップ出来ました。
このレポがネックになっていてこの後のレポは手が付けられませんでした。これから、順次掲載するつもりです。

なかなかレポをアップせずご心配をおかけしましたが、こんな理由でした。
今、パセリは驚くほどの回復ぶりを見せてくれて、お散歩で会う近所の方たちもびっくりしているほどです。震災や原発事故などもあってなかなか出掛けられませんでしたが、またパセ&ポプと出来る限り神出鬼没あちこちへ旅したいと思っているので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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