1997年からのお出かけレポです。時代により制作方法が違いお見苦しい、読みにくい箇所が多々あると思います。できる限り現代版に合わせるよう作業していますが、過去に頂いたコメント等が消えてしまうこともあります。ご容赦いただけたら幸いです。

手賀沼 西半周ウォーキング 02 (by パセリ)

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車道と沼の間の歩道しかし、しばらく行くと沼沿いの遊歩道は車道脇の歩道になってしまった。
排気ガスがいっぱいだ。
普通の買い物自転車もやって来る。
なるべく沼側を歩こうと柵ぎりぎりのところを歩こうと試したけど、なかなか歩きにくいね。
ししたの提案で山沿いの道を歩くことになったよ。

山沿いの道車がびゅんびゅん通る道路を渡り、枯れた田んぼのあぜ道を歩き、山に突き当たると右に曲がる。
車が一台通るだけで脇に避けなきゃいけないくらいの幅の道。でもそんなに車は通らない。
さっきの排気ガスとは違って、草木の匂いがする。
異国の方が自転車にのって後ろからやって来た。

「スみまセ~ん」

最近の日本人もそうだけど古くから日本人の人たちも無言で、ぎりぎり脇をすり抜けてゆくか、リンリンけたたましくベルを鳴らしてゆく人たちがいる。見習ったほうがいいね、礼儀。

湧き水が出ていて、水が飲めるようになっているところがあった。こういうの天の恵みっていうんだよね。
犬用と書かれたバケツも置かれていた。でも、そのバケツは水が流れていないんだよ。汲み置きされているから飲んじゃダメって言われた。せっかく用意してくれたんだとは思うけど、犬用も天の恵みが流れていたらよかったのに。人用は飲むなってことかな。

新そばまつり香ばしいいい匂いがする、とりちゃが言った。
木陰の向こうにイベント用テントが見える、とししたが言う。

もしかしたらパセリより、ポプラより鼻と目がいいらしい。くんくん鼻を鳴らしながら、コンビニごはんを食べなければ良かった、とぶつぶつ言いながら、新そば祭りに向かったふたりだった。
お蕎麦じゃ、ぼくたちはご相伴にあずかれない気がするから、足取りは軽くならないんだけどねぇ。

イベント会場ってたいていは、目の前を足いっぱいの森状態だからあまり好きじゃないんだけど、新そば祭りは思ったよりも空いていた。
いい匂いの元はおそばではなく、炭火で焼いていた鮎だった。残念ながら焼き始めたばかりで、時間がかかるらしい。

じゃまにならない場所で待っていると、駐車場の整理をしているおじさんが近寄ってきた。
去年、17歳になったシュナさんを見送ったそうだ。
ぼくとポプラを交互になでて、「兄弟? 親子?」とお決まりの質問をしてきた。
「血はつながっていないんですよ」とりちゃがこれまたお決まりの返事をする。もう少しひねったらいいのに、とぼくはいつも思う。

もうひとり、少し遠くで棒を振っていたのおじさんが近づいてきた。
ポプラが「うぅ」と唸った。
最初のおじさんがポプラに向かって「おりこうだねぇ。悪い奴がわかるんだね。吠えていいよ、噛んじゃえ」とけしかける。
頭に乗っちゃダメ、とポプラを目で制止した。
最初のおじさん曰く悪いおじさんという人が、「兄弟? 親子?」と聞いてきた。
「血はつながってないんだよ」最初のおじさんが応えた。古くからの知り合いみたいに。
そして「シュナウザーは賢いからさ~」と続けた。
ぼくをなでながら、その手は天国のシュナさんの感触を思い出していて、そのシュナさんに「よしよし」と声をかけているのが伝わってきた。
おじさんの手、あたたかかったよ、とても。

新そばをししたろがお盆に載せて近づいてきた。
用意されたテーブルの、他の人たちに迷惑がかからない場所が空いたところで食べる。
なぜかわからないけど、ぼくたちがこわいって思う人もいるらしい。かわいがってくれる人たちばかりじゃないんだって。
新そばは、ポプラもぼくも少しだけおすそ分けをもらえた。
蕎麦アレルギーじゃなくてほんとよかったよ。ポプラもけっこう上手に食べてたよ。もらうとき、顔を真横にして1本のおそばを下からつるつるっと食べるのが通だと思う。よかったら今度試してみて!

手賀沼公園また、山際の道を通ってから車の通りが激しい道を渡り、手賀沼公園に入った。
この公園はミニSLが走っていたり、すべり台やアスレチックもあって子どもたちもたくさんいた。
沼に向かっては、大勢のひとたちが竿を出してた。
ししたとぼくは釣りしている人たちを眺めるコースを選んで、りちゃがポプラを連れてショートカットするルートを通ったので、ポプラがぼくに向かって怒るんだよ。
ポプラは、ぼくがちょっとでもいないと淋しいらしい。
でも、がるるって怒ることないと思うんだけどね。気持ちの裏返しってことかな~。おんなこごろもむずかしいけど、ポプラもなかなかむずかしいよ。

文学の道公園から沼沿いの小路に入ってゆく。
志賀直哉や武者小路実篤っていう人たちが昔住んでいたそうで、文学の道として広場があったり、そういう人たちの旧邸や白樺文学館などがあって、そんな場所 を歩くだけでなんとなく賢くなったような気分になる。毎日歩いたらいいんじゃないかと提案したけど、むずかしいと却下されてしまった。
京都の哲学の道に毎日行こうって言っているわけじゃないのになぁ。

小路は我孫子高校の裏を抜けて、手賀沼大橋にぶつかる。
そうそう、この高校の裏に簡易トイレもあったよ。入っていないからどんな感じかわからないけど…。

手賀沼大橋手賀沼大橋の大きな交差点を渡って、橋を上ってゆく。
歩いてきた10キロメートルは端の反対側。歩いてきた沼の端っこは見えないね。
手賀沼大橋南側これから歩く10キロメートルだね、ってポプラと覗いてたら「今度ね」って言われた。
いつも歩いているところだからわけないと思うのになぁ。
ポプラは「きょうはもうあるきまちぇんよ」って言ってたけど。

ゴール3時のおやつの時間にちょうど車に戻ることができた。
車に乗ったら、おやつをたべるのを忘れて眠っちゃったよ。
あと半周歩かないんだって思ったら気が抜けちゃってみたい。
あした行けたらいいな。
ぼくは20キロメートルくらい楽勝だよ。(たぶん)。

だから、また行こうね!

*   *   *   *   *   *

※ここからはrichaが書いてます。

今回は手賀沼だし~とためしにジーパンで歩いてみましたが、やっぱりダメですね(苦笑。たかが手賀沼ですけど、薄っすらとかいた汗がいつまでも湿ってそこに居座っている感じがしました。失敗、失敗。

沼の南側は自転車と歩行者・ランナーと線で区切られた舗装道がずっと続き、安心感があります。ただ、沼側が自転車走行路になっているので、沼を覗こうとすると自転車路を横切ることになります。注意しないと、安心しきって走ってきている自転車と衝突という危険もありそうです。
北側は南側と違った趣の道になり、途中は車道脇の歩道を歩くことになるのであまり面白くありません。沼と離れて山裾の道に移動すると湧き水や竹林を眺めな がら歩くことが出来ます。狭いので車とのすれ違いに気を配る必要もありますが、新そば祭りもその道から発見することができました。

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