5時に目が覚め起き出すと、珍しく今日の予定走行ルートが出来上がっていた。わたしが寝た後決めていたらしい。
カーテンの隙間から外を覗くと、隣にプジョーが駐まっていて、中でシュラフに包まって寝ている人たちがいた。
前にもずらっと駐まっていて、道の駅きらら館の駐車場はほぼ満車になっている。
キャンピングカー、ハイエース、ランクル、エスティマ、ほかもナンバーがさまざまな普通乗用車が駐まって、まだほとんどの車が寝ているようだった。
車の脇に靴を脱いでいる人もちらほらいる。
虫とか入ったりしないのかな。靴を忘れて走り出すことはないのかな、と余計な心配をしてしまう。
佐賀関を出るフェリーの最終は23時。わたしたちが乗ったフェリーから最終便まで4本ある。仮に少なく見積もって20台ずつフェリーから降りてきても全部で80台。瀬戸農業公園に泊まる人もいれば、走りぬけていく人もいるだろう。昨晩わたしたちが駐めたときから40台くらいは増えているので、半分くらいここに来て泊まっていることになる。
最終便が三崎に到着するのは定時で24時10分。そこから40分くらいかかるから、25時くらいにここ道の駅きらら館に到着した人たちもいるのだろう。となりの車は中が丸見えでぐっすり寝ているようなので、起こさないようにそっとドアを開けて外に出た。
駐車場の上にある展望スペースを散歩する。
少し霧がかかっていて海まで白い。
パセ&ポプの朝ごはんは、野菜ジュースと霧島鶏のレトルトなど。
自動販売機の脇に大きなビニール袋をふたつ持ってきている女性がいた。ゴミの管理をしている人なのかと思ったら、ビン缶のゴミ箱の脇にビニールを置いてキャンピングカーに乗り込んで行った。あまりにも慣れていて悪びれない様子にびっくりした。
先日の洗車するキャンピングカー、今日のゴミを放置していくキャンピングカー。キャンピングカーって目立つから、その行動も目立っちゃうと思うんだけど…。別にキャンピングカーが悪いわけじゃないけど、その線上に「車中泊する人はまったく」と言われそうで…。
ゴミは、確かに少し長い旅になると厄介もの。キャンプ場でもゴミは持ち帰りのところが多いし、道の駅でもスーパーでもゴミを捨てられないところは多い。有料でも処理してくれるところがあったらいいのにと切実に思う。ちなみにうちは、ガベッジバッグやバケットに入れる。温度が上がって匂いそうなときは、ルーフキャリアに載せて置き、ガソリンを入れるときにゴミを捨ててもらう。ガソリンスタンドでゴミの処分を拒絶されたときは、驚いたとともに、とても困ったっけ。
7時半、道の駅「きらら館」を出発した。
登坂車線があるとほとんどの車が登坂車線に移る。九州では移る車はほとんどいなかったのに。地域によって、行動パターンが違ったりしてほんとうに面白い。
八幡浜市街に入り、出光でガソリンを入れる。一生懸命で丁寧なおじさんだった。
市街地でも信号は点滅が多く戸惑う。これに慣れてしまうと、普通の信号が出てきたときに怖い思いをしそう。
夜昼トンネル(2141m)をくぐり、大洲西トンネル(1077m)に入る。
夜昼トンネル?ってその不思議な名前に興味を持ったら、トンネルの上には夜昼峠があった。つまり峠から名づけられたらしい。ならば、その峠の名前の由来はなんだろう。
夜出発しても到着するのは昼になるほど険しい峠だからとか、未明に出ても峠には夜に着く難所だからという説もあるらしいが、峠自体はそれほど大変な峠ではないと書かれているものが多い。そんな中、ネットで見つけた信憑性のありそうな由来を見つけた。太っ腹なことに「無断でコピー、改編、商業利用等すべて自由」と書かれていたので、お言葉に甘え転記させてもらうことにする。わたしはこれですっきりした感じです(笑。
山間をのったりと流れている肱川は、カヌーでのんびり下れそうな感じがする。
途中、こどもの日らしく鯉のぼりがゆらゆらと川の上で泳いでいた。
九州の川でもこれまでずいぶんと川の上を泳ぐ鯉のぼりの姿を 見てきた。今日はまさに鯉のぼりの日、あちこちで気持ち良く泳いでいるのだろう。しかし、ここの鯉のぼりをわざわざ車でやってきて見に来ている人たちがいたけれど、なにかで有名なのだろうか??? 他と比べて特に特徴は見当たらなかったけれど…。
9時 GWで特別な出店が出るらしいが、ほとんどのお店がオープン準備中だった道の駅肱川に寄る。
今日はキャンプの予定なので、地野菜も購入。
あまり得意じゃなかったグリーンピースも最近慣れてきたので、ころころ輝いてみえる。夫のリクエストにより、グリーンピースごはんにしよう。もうひとつ大人になってから好きになったので、子どもの頃の分も取り戻そうとしているんじゃないかと思うほど食べているさやえんどうも、キラキラしていたのでカゴに入れる。
竹の子とぜんまいも美味しそう。この時間に棚に残っているということは、昨日の残りかな、なんてことは考えないことにしよう。こちらも時間がないし、スーパーよりは美味しそうだもの。
そして、五月五日の子どもの日だから、柏餅。
朝ごはんには、なぜかシーチキン巻
産直のお店を出ると、じゃこ天のお店がいち早くオープンしていた。
開いていなかったのであきらめていたじゃこ天、やっぱり食べよう。串に刺さったぬりかべのようなじゃこ天が手渡された。レンジで温められたようなぬくもり。ちがーう。こんなんじゃない…。
じゃこなんてどこにあるの?という感じ。
あぁ、ずっとクローズしていればよかったのに…。
ここのじゃこ天は、じゃこなし天だった。
夫が欲しそうにしていた、家族総出でお店を出しているから揚げの方がよかったかも。と思ったら、買っていた。写真がなかったら忘れていただろう(苦笑。
まだ暑くならないうちに、そして人も少ないうちに、パセ&ポプと少し散歩をする。しかし、さすが休日、オープン時間が迫っているからか車が続々やってきてしまった。混んでいるところは苦手。さっさと出てゆくことにした。
二股の分かれ道、右に行くと脱藩の道があると書かれているのを確認して、左折した夫。
今回は行かなくてもいいか…、としばらく黙っていたが、わたしはそういうところは見てみたい、と告げる。夫は脱藩の道に行くつもりでいたらしい。右と左をまた間違えていた。それならもっと早く言えば良かった。
Uターンして右の道へ進む。
脱藩の道は通りすぎてしまうほど見つけにくい。杉が高く伸びて光を遮っている。杉の間の人一人とおれるだけの細い道。消えてなくならないようにきっと時々踏み固めているのだろう。ほんとうは道ではなく、ただ杉の間を縫って行っただけじゃないのかな。それでも、そのまるで獣道のような道に、坂本竜馬の後姿を想像する。羽織袴にわらじを履き、杖も持たせた。旅姿が羽織袴とは考えにくいけれど、わたしは坂本竜馬というとその姿しか浮かばないので仕方がない。とにかく、速乾性の下着なんて着ていない。ゴアテックスの靴なんてない。身体にフィットするザックなんてものもない。軽くて栄養満点の携帯食だってない。装備の面だけ考えたって、山越えをした坂本竜馬を尊敬してしまうけれど、その時代の人たちはみな旅はそんな格好だったのよね。高機能な物を纏う分どんどん軟弱になっている人間。いいのか、それで!? と問いたくなる。自分を含めて。
そんなことを思っても、数々の軟弱人間養成の発明品に身を固めて、快適な温度に設定した車に乗り、飛ぶように四国カルスト大野ヶ原高原へ向かうわたしたち。
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