1997年からのお出かけレポです。時代により制作方法が違いお見苦しい、読みにくい箇所が多々あると思います。できる限り現代版に合わせるよう作業していますが、過去に頂いたコメント等が消えてしまうこともあります。ご容赦いただけたら幸いです。

お山に行こう 02

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目を開けると、目の前に碁盤の目のような筋交いが見えた。
ここはどこ?
あぁ、そうだったデリカD5で寝ていたのだった。ゴムメッシュの荷物置きが碁盤の目に見えたらしい。
そういえば友人たちはどうしたのだろう。
うだうだごろごろしていたら先に夫が起き出した。
外に出て行った夫に聞くと、友人の車は近くにあるらしい。
よかった、無事発見してもらえたようだ。

朝の散歩パセ&ポプも起き出し、みんなで散歩に出る。
空のご機嫌、パセ&ポプの健康、わたしたちの体調、いい感じで(わたしだけが少々不摂生がたたっているけれど)新しい1日をはじめられることに感謝しながら、歩こう。

夜の間、雨は少し降ったらしい。
木々は洗われ、芳香をいつも以上に漂わせている気がする。

赤、白、いろんなカラーの季節に訪れているけれど、8月というのは初めてだった。

サイトに戻ると友人たちも起き出した。
昨晩ほとんど手を付けなかったキムチ鍋におうどんを入れて、みんなで朝食にする。
カーサイドリビングはキャンプタイムのロールアテーブルロールアコットを2つ、入れても余裕。大人4人でも快適に過ごせることを確認できた。

朝の散策霧の中を散策友人たちも散歩。私たちもまた散歩、とそれぞれ散歩に出たら、偶然会ったので(笑、一緒に散策へ繰り出した。

ときどき山のすそから霧がのぼってきて山を覆う。
目の前に幻想的な世界が広がり、冷たい空気に肌が刺激された。

甘酸っぱい香り、濃厚な木々の香り、まだ青い栗の実、得体の知れないオレンジの菌、花と虫の一瞬の笑顔。
パセ&ポプも全身で感じているようだった。

サイトに戻ると、日常のたまった疲れと歩いたほどよい疲れで、みんなは夢の中へと消えて行った。

静かな日曜日の午前中。
わたしは持ってきた本の中から「富士山頂」を取り出して読み出した。時々霧雨が通り過ぎる。
コットにオリジナルチェアで足を投げ出していると、ひんやりとした空気が流れてきて寒い。フリースをときどき引きずりあげる。
お役所への皮肉があちこちに書かれていて、ひとりにやっとしてしまう。今日の選挙結果によって数十年後、この本に書かれていた皮肉がわからないような時代がくるだろうか。今回の選挙結果で心配なのは数年後に日本がなくなってしまわないかということ。投票日までマスコミはずっと元アイドルの事件ばかりを流すような情報操作をしていた。肝心な情報が遮断された選挙期間。こんなことも変わるのだろうか。自民も民主もそのあたりは変わらない気がするけれど…。
頭の中で、富士山からいきなり下界に降りてしまった。本の富士山に戻ろう。
富士山頂に気象レーダーを建設するというのは想像以上に大変なことだったのだろう。技術面はもちろん、今でもたくさんいる幽霊。1960年代まで富士山に荷物を上げるのは馬だったそうだ。そしてこの時代も富士登山をする人たちが多くいて、作業に支障をきたすほどだったと書かれている。おそらく現在の数ほどはいないのだろうけれど、数十年前と大きく変わったのは、なんだろう。
新田次郎氏の他の本よりも臨場感があって首をかしげていたら、氏本人がこのプロジェクトに関わっていて、主人公が作者自身だったからというのもわたしには驚きだった。

ポプラが暇そうな顔をして車の中でごそごそ起き出した。ポプラを抱きしめに車に近づくと、パセリも夫も目が覚めてしまったらしい。お昼寝タイムを終了させてしまったm(__)m

わたしたちは、そろそろと撤収をする。

帰路秘密の野営場所を今度ご一緒するときのために案内し、他の野営適地も案内しつつ、中途半端な通行止めなどという看板にどきっとさせられたりしながら、帰路に着いた。

少しだけ気分転換できた…。
と思ったけれど、
翌日からあまりに物足りなかったこのキャンプで、
ますます飢餓状態に拍車がかかってしまったよう(苦笑。


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