1997年からのお出かけレポです。時代により制作方法が違いお見苦しい、読みにくい箇所が多々あると思います。できる限り現代版に合わせるよう作業していますが、過去に頂いたコメント等が消えてしまうこともあります。ご容赦いただけたら幸いです。

放浪の春 11~只見~

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もう最終日。今日は北上して只見町を通って帰る予定である。
なのでまずはパセ&ポプごはん。
そして、わたしたちも朝ごはんを食べて、軽いランチを作る。

9時には撤収完了し、ししたろが仕事の電話ができる時間まで誰もいないキャンプ場でパセ&ポプと遊ぶ。
キャンプサイト脇を流れる水路の水は顔をゆがめるほど冷たいらしい。

ししたろが仕事をしている最中、わたしとパセ&ポプはその辺を散策。

10時過ぎ、出発。



伊南川沿いには満開の桜並木。そしてその向こう側には雪山。
この景色に感動していると、感動は只見に向かうにつれて感激になっていく。

只見の駅があったので寄ってみた。駅員さんも、乗客も、待っているタクシーも、バスもいない。そう、どこにも誰もいない。映画で見かける駅のように無人で、ホームにも入れてしまう。
改札口からホームの向こうに山が見えた。駅改札という額の中にある風景。

列車・電車の旅は数えるほどしかしたことがない。いつも車だった。こういう駅に降り立つ旅というのもいいねぇ。でも、パセ&ポプとの旅を考えれば、やっぱり車を選ぶ。

馬鹿の一つ覚えのように「すごいっ!」「きれーっ!!」「うわーっ!」を連発するわたしたち。こんなに「すごいっ、きれいっ」を連発する旅ははじめての気がする。
金山町は妖精の里と言われている。まさしく納得。ふさわしい。たいてい観光目的のシンボルはとってつけたようで面白くもなんともないけれど、ここはぴったりのイメージで、すばらしい。本当に妖精が住んでいる気がする。
しかもこの季節、冬から春へちょうど移り変わる芽吹きのエネルギーがそこここに感じられて、その素晴らしさに拍車をかけている。

感動の嵐をもっと~、と只見川でカヌーを出せるスポットを探してしまうのはカヌー乗りの性!?
ここでカヌーを出してしまうと今日中に帰れなくなる。と、ぐっとこらえて今日は下見下見と自制するわたしたち。

ふと見上げると青空に一本の雲。飛行機雲ではない。線を描く雲は次々に現れてきた。
足元にはこごみが群生していて、ししたろは目の色が変わる。この後、ししたろは「こごみ」「こごみ」と雑草のようにあちこちに生えているこごみを見かけては叫ぶようになる(笑)。
こごみを少し収穫して、また出発。

通り抜けられるかと入っていた道の先は川で行き止まり。
ここで暮らしている人たちは毎日こんな景色を見ているんだね。
空気が違う。水が違う。そういうもので構成されているわたしたち。美味しい空気と水で育った野菜は美味しかったりする。つまり人にも違いが出る気がする。

うわぁ、不味い人間に育っちゃったわよ、わたし。

赤と青のトタン屋根の家が多い。真っ青な空と白い雲、若葉色と残雪の山、そして水量たっぷりの川。まるで絵のようだ。額を置いたら、誰にも描けない絵になる。
只見の景色の中にいてもなぜこんなに感動するのだろう。
他の町とどう違うのだろう。

空があって山がある。山に積もった雪が融けて、川を創り、川の傍らで、野菜を育てている人。
人以外の自然と人の調和がしている気がする。バランスがとれている気がする。人と人のいい隙間がある。人に滋養を与えてくれる、空気や山。そういった自然に対する恐れも感謝を持って生きている人たちがいる。
絶妙なバランスを保っていくために、それぞれのエネルギーがひとつの大きなパワーになって空間を支配している気がする。
言葉なんかじゃわからない、この風景が、人間は自然の中の一部で共存・共生していんだってことを、わたしの深奥に直接、強烈に響かせてきたんじゃないかと思う。
そして、一瞬でもその風景の中に身をおいて景色の一部になれた自分に感動したのかもしれない。

いつも漠然と、家に帰るにつれある種の息苦しさを感じていた。頭ではわかっていた。家と家、ビルとビルが隙間なく立ち並び、空は小さく、地面はコンクリートで覆われ、風は排気ガスなど毒を含み、雨はコンクリートの道の上を走り、コンクリートで固められた穴に落ちて流されていく。人間が創造主であるかのように振舞って、他の自然をコントロールしているつもりになっている。そして、おかしい、間違っていると思いながらも、その中に身をおいている私。



感動する風景を見ることができた幸せ、その中に身をおいた幸せ。
五感・六感が喜んでいる気がする。しばらくいればもっと活動するチャンスが出てくるかもしれない五感・六感。こんな地域だから妖精も住んでいる気になるのだろう。パセ&ポプも「なにか」を探しているのかも。

しかし、只見の風景の中でわたしは生活できるかというとむずかしいのだと思う。
やればできないことはないかもしれない。でも、根性がない。
そのことをまざまざと知らされたこともこの風景に感動したひとつなのかもしれない。
口先だけ、頭だけで考えてたってダメ。だったらここで暮らせるのか?と創造主はこの風景を見せて問いかけてくれた気もする。
適当なところで手を打って、行政の用意したUターン、Iターンの田舎暮らしとかしてしまう。それで、自然と共生している調和しているなんて豪語して暮らすつもりは以前からまったくない。
しかし、本当に自然と共生する暮らしは難しい。

2009年(調べたとき平成20年と元号で書かれていたけど、元号は嫌い。役所関係はいつまで元号を使う気なのか…)には下郷と白河を結ぶ国道289号甲子道路の甲子トンネルが貫通するそうだ。得るものがあるということは失うものもある。
交通の便が良くなるとこの地域はどんどん変わっていくだろう。現在の状態では生活するには大変な場所だとは思う。しかし、大切なものはせめて守り続けて欲しい。パワーもエネルギーも失ったへろへろの軟弱なわたしが言うのはおこがましいし、なにもわからないくせにと言われることだろう。守りたいなら自分で守れ!だと思う。
しかし軟弱ものが行った所できっとすぐにコテンパにやっつけられてしまうことはわかっている。

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