1997年からのお出かけレポです。時代により制作方法が違いお見苦しい、読みにくい箇所が多々あると思います。できる限り現代版に合わせるよう作業していますが、過去に頂いたコメント等が消えてしまうこともあります。ご容赦いただけたら幸いです。

館山ドライブは懐古ドライブに 01

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出発忙しさにかまけて出かけられない。
日帰りで出かけるというのは我が家としてとても贅沢でもったいない行動だけど、ちょっと秋のイベントの下見ということを目的にひとっ走り行って来ますか?
ということで、パセ&ポプをぽんぽんとリアシートに乗せて、出発。
出来るだけ街中を通らないコース。
前方から警察の車輌が、まるでよく見かける自衛隊の車列のように連なってきた。なにかあったのだろうか。
成田空港から九十九里浜今回は成田空港を経由して九十九里へと向かっていた。
そう、わたしは気づいたら成田空港まですっかり寝てしまっていたのだった。
目覚めると管制塔が見えた。
さっきの警察車輌のこともあって昔の成田空港のことを思い出した。
ぼんやりした脳裏によみがえってきた映像が、段々と色づいていく。
まだ開港していなくて近辺いったいが入場制限されていた頃のことだ。父はひとりドライブをしてこのあたりに来て、変わって行くその地域一帯を眺めていた。
そこでうやうやしく声をかけられたらしい。
「どちらの方でしょうか」
「どちらって、ちょっと眺めているだけだよ」と父。
「え、ここは一般の人間は入れない場所なんですが…」入れてしまったことにかなり驚かれたらしい。そんなことを言われたって、いつくかあったはずのゲートを父の車は誰にもとがめられることなくその場まですいすいと入れてしまったわけで、父も笑ってしまったらしい。そんな警備で大丈夫なのか、と。
父にはたまにそんなことがある(笑。
成田の警備と言えばこんなことも思い出す。私がしばらく渡米するとき、友人たちが見送りにきてくれた。そのときもまだ入場制限がされている頃だった。見送る人の名前、便名などを告げて、確かにその人物が乗客名簿に載っていなければ入場できなかった。成田まで見送るということはほとんどなかったし、見送りにいったとしても家族の場合は一緒の車だったから。見送る側のことはよくはわからない。でも、とにかく身分証明やらも必要な、そんなときだった。ほとんどの友人たちはもちろん問題なく空港内に入っていたのだけど、来るといっていたひとりがなかなか到着しなかった。どうしたのだろうと思っていたら、どうやら検問でもめていたそうだ。彼が通っていた大学が要注意のリストに載っていた学校だったらしい。身分証明書を見せたら「ちょっと待った」となり、本当に私と知り合いかどうかとかチェックが入ってしまったのだった。記憶が曖昧だけど、確かわたしに連絡が入った気がする。あの頃はまだ携帯電話などない頃。どうやって連絡が来たのか記憶が薄すぎるが…。「間違いない」と返事すると、友人は少しして笑いながらやってきて、会うことが出来た。懐かしい思い出。
そういえばその前の渡米のときは、成田から出発するはずだったのに開港が遅れて羽田からになったこともある。どこからか帰ってきたときは、羽田に着陸する順番待ちで開港前の成田空港の上を何回も旋回したこともあった。

車に揺られて目が覚めたとき飛び込んできた成田の管制塔を見ただけで、一瞬のうちにいろんな記憶が波のように押し寄せてきた。芋づる式にまだ友人たちの顔も甦ってくる。
成田でグランドスチュワーデスをしていた友人。当時は花形だったJALの乗務員で飛び回る先からはがきを送ってくれていた友人。それから、親には成田の方に行ってくるとだけ言って、内緒で渡米したこと(笑。

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