昨晩早く寝たせいか5時半にしゃっきりと起床。夫の調子も良い様子。
静かな朝。となりを流れる川の音も聞こえてきそうなくらい。
ひんやりとした空気の中、近辺へとパセ&ポプと散歩に出た。ゴミステーションの前で、早朝というのにおばあさんたちが立ち話をしていた。そして、ゴミを捨てにきているのかと思いきや、ダンボールを取り出している。リユース、ということだろうか。
パセ&ポプを見つけると、ニコニコ近づいてきた。
「兄弟かね」
何度も繰り返している「違うんです。血のつながりはないんですよ」という決まりのフレーズをまた繰り返す。
「あぁ、夫婦かね」今度は大きくうなづいて、納得したように言う。
犬の夫婦というのもやはり似てくるということなのかな。ときどき聞かれてしまう。
「いえ、どちらもオスで…」せっかく納得されたところに申し訳ないないけれど、真っ正直に、小さな声で応えて別れた。
夫がからからの側溝にうずくまっているカエルを発見。
助け出される様子をポプラが心配そうに見つめている。
近くに水がありそうなところはない。どこからこんなところ来てしまったのか。最近時々現れる空から降ってくるおたまじゃくしだろうか。いや、こんなところではカエルになれないし…。とにかく水のある場所へ、と今来た道を戻り川へと連れて行った。
流されてしまわないように草で囲まれた流れの少ない場所に浮かべると、手足を縮めた大の字になってぷかぷかしている。ひからびちゃって動けないのだろうか、びっくりして動けないのだろうか。まさか心臓発作起こしていないよね。みんなで覗き込んでいると、手足を徐々に伸ばし、滑らかな大の字になった。やはり必要なのは潤いよね。
ポプラはいつまでもカエルのことを気にしていて、立ち去るのが名残惜しそうだった。。
ごはんをちゃちゃっと食べて、パセ&ポプのおなかがこなれた8時頃、出発。
圏外だとばかり思っていたところに電話が鳴って驚いた。電話がつながらないことを「普通」と思うようになっていたことにも驚く。。
わたしが運転するというのに、大丈夫!とハンドルを握る夫。
聖湖沿いの道へと入っていく。開放的な道から細く木々の濃い細い道に変わった。周辺は別荘の分譲地になっている。以前湖畔沿いに土地を購入して家を建てている人のWEBを見たことがある。カヌーでよく遊んでいた時期で、湖畔に家を持つことにあこがれていたわたしは、ものすごく羨ましかった。湖畔の土地がまだ普通に売っているのだと驚いたこともあった。あれは聖湖だったような気もする。今でも聖湖なら売られている。でも、千葉からでは少しばかり遠すぎる。移住ならできるかもしれないが。
それにしても今日は5月5日という国民的休日なのに、静か。誰にも知られていない秘境か、もしくは見放されてしまった場所かのようだ。対向車ももちろん来ないし、窓をあけて鳥の声や木々の香りを車内に入れる。ポプラはまだまだ外を眺めることに興味津々で、窓が開くとシートベルトを引っ張ってでも外を見ようと窓にかじりつく。パセリはもうすぐに飽きるらしい。どこの景色も同じだ~と思っているのかな。
聖湖湖畔もそうだったが、細かなガラス片が散らばっているように若芽がきらきらと山を飾っている。そして、まだ芽吹きが浅い木々の間に、ヤマツツジの薄紫が境界をぼかすようにして華やかさを添えている。
神さびた風景。
桃源郷と言ってもいい。
なぜ今までこの地に来なかったのだろう、と悔やまれるほど、わたしの好みに合う。
会津は陰ある印象を感じるけれど、中国(北広島)は暗さのかけらも見当たらないように思える。雪の痕跡もなく、樹の根曲がりもほとんど見られず、のほほんとした空気の中木々がのびのびしているように思えた。
道戦峠を越え、191号線から11号線に入り、わき道へと抜ける。
突然現れた魅力的な空間。
東屋にトイレ、車の乗り入れも可能な公園のようなみどりの広場。
誰もいない。車の轍が残っているくらいで、誰かがここを訪れている気配がほとんどない。
聞こえるのは小鳥のさえずりと、木の葉が揺れる音、そして湧き水の流れる音。
しばらくパセ&ポプと散歩をする。山から流れてくる小さな川辺には水芭蕉が植えられていたり、あちこち植栽されている。
聖湖もがらんとしていたが、ここもこの連休に誰か来たのだろうか。すばらしい場所だけど、これでいいのかしら?と心配にもなる。
こんな場所がせめて3-4時間で来られるところにあったらいいのに、と心底思いながらこの場所を去る。
滝があるというので入っていく。4wd以外はここまでという立て札が立っていた。入れるところまで車を進め停める。
断崖から下がる道があるらしい。遥か彼方の山の切れ目に滝が落ちていた。そこまで歩いていけるようだが、軟弱者のわたしたちはここで滝を眺めることにした。
ポプラは東屋か小屋の残骸を不思議そうに覗いていた。
そして、滝も覗こうと、パセリを後ろから押したらしく、パセリが慌てた様子が写真にあった。そんなに危険なところでもないけれど(笑。
のどかな田園風景の中を進んでいるとき、すれ違ったパトカーの警官に頭を下げられたらしい。このあたりでは駐在さんというのが正しいのかもしれない。きっとすれ違う人みんなに挨拶するのだろう。
石州瓦だろうかオレンジ色の瓦屋根に鯱のようなものが乗っかっている家が多い。そして、この近辺では流行っているのかガダバウトチェアのグリーンのようなビニールハウスらしきものがあちこちにあった。
スーパーが現れたので、昼食を購入するために立ち寄る。こんな旅では、見つけたときに飛び込まないと、おなかをぐうぐう言わせながら走るか、非常用食料を食べることになってしまう。
お惣菜コーナーには、なんともまぶしいカラフルなお寿司があった。
赤いウインナーが苦手なわたし。なるとも苦手。しかもここのなるとはピンクと白が反転していてこれもまた奇抜。結局食べられそうなものがねばねばの納豆巻きしかなかった。
パセ&ポプの待つ車に戻ると、靴が地面にへばりついた!
いったいなに?と靴を思い切り地面からはがすと、ねばーっとガムが伸びた。今時、ガムが落ちているなんて。今時、ガムを踏むなんて。オレンジXをかけてガムを取る。
中国自動車道をくぐり、島根と広島を行ったり来たりして進んでゆく。
道の駅瑞穂に立ち寄ってみたら、施設内には買ったお弁当を食べられるコーナーがあって充実していた。こういう旅をしていると、次に出てくることがわからず、さっきのような失敗をする(苦笑。
今夜の宿泊場所として考えていた休暇村などに問合せをしてみた。しかし、車を脇に置いてカーサイドリビングを張るということはできないようなのでもう少し走ることになった。
夫も調子よく運転していたが大事を取って交代することにした。
助手席から降りて車の前をまわって運転席に座ったわたし。
運転席から車の後方を回った夫。その夫が車の陰で「ぎゃっ」と声を出して窓の向こうに見えていた姿が消えた。何事かと飛び降りて見に行くと、張り出していた木の根っこに躓いたらしい。路肩の崖に手を突いていたが夫には怪我がなかった。履いていたウォルディーズは切れ、破損。身代わりになってくれたのだろう。
江の川を離れ、今度は木次線沿いを走る。
古びた鉄橋をいくつかくぐる。
どの鉄橋も桁下の高さが低く、幅が狭い。
大きな車だった場合、迂回路はどこにあるのだろう。小さな車にしておいてよかった、と思う。
列車が来そうだ。
列車のライトがチラッと見えたと夫が言う。
わたしにはもちろん見えなかった。
夫はカメラを持って降り、待機した。
果たして、立派なリゾート列車がやってきた。
3輌編成の1輌はオープンデッキになっている。
まさかこんな立派なリゾート列車がやってくるとは思わなかった。カメラを構えてパシャパシャとシャッターを切りながら、なぜか2人で笑っていた。
せっかくだから駅に寄っていい?と夫。
なにがせっかくだからかはわからないが、下久野駅に向かう。
夫は知っていて向かったのだろうか。下久野駅は木造駅舎だった。
夫は駅構内へ。わたしは駅舎のまわりをパセ&ポプと散歩。
トラクターに乗った男性が一人やってきた。
トラクターで駅にやってきて電車に乗るの?
男性も駅舎へと入っていった。
静かな駅前をパセ&ポプとのんびり散歩していると夫の声が響いた。窓を開けた車にパセ&ポプを残し、呼ばれるままホームから駅員室へとお邪魔した。テーブルのまわりにパイプ椅子が4脚。四方の壁にはぐるっと白黒写真が掲げてある。
さきほどトラクターでやってきた男性が、冷蔵庫から冷えたコーヒーを出してくれた。
村の16人ほどが交替でこの駅を管理しているそうだ。
7時から22時ころの毎日3時間くらいいることにしているらしいが、いないときに限ってお客さんがくるんだよなぁ、と笑う。
そして、昔は映画館もある町で栄えていたんだよ、とほとんど訛りのない言葉で少し淋しげに話す。
あまり雪が降らないとのでは、という想像ははずれていた。この辺りはたっぷり降るそうだ。ここよりも上になると豪雪らしい。これまで通過してきた場所はまだ雪の少ない場所だったのだろう。この先は確かに根の曲がっている木々が増えた。
先ほど見かけた列車はトロッコ列車で、一日一便しか走らないそうだ。なんとまあ、運のよいこと(笑。
下久野トンネルという建設当時には画期的だった。2241mという長さのトンネルの話も聞かせてくれた。政治的な意味合いから内陸にレールを引いたらしい。
動画があったのでリンクしておく。>> どこまでも続く下久野トンネル
軒を連ねた商店通りのような道が駅へと続いている。
日の丸の旗がいくつも出ていた。
こんなにたくさんの日の丸が並んでいる光景は見たことがない。子どもの頃は日の丸が揚がっているのを多少は見かけた気もするけれど…。
出雲八代駅には小さな日の丸が出ていた。
いつから日の丸が軍国主義の象徴のようになったのかなぁ。上海万博で各国が国旗を掲げる中、日本館は反日感情に配慮した措置として国旗掲揚を見送ったらしい。我が家も国旗を掲げることはないけれど、日の丸が掛かっている光景はどこか懐かしく安心するものがある。
三成でスーパーに寄る。
ナビではJAのスーパーしか示されなかったが、夫の勘で新しく充実したスーパーが見つかった。
各駅停車の旅ではないのだが、線路沿いを走っているせいかまた次の駅に立ち寄ることになった。
駅として機能しているのかはわからないけれど、駅前に車をつけると、駅の中で蕎麦を食べている人たちがこちらに視線を送ってきた。
ここなら目の前に車を停めて、パセ&ポプの様子も見えるから、お蕎麦を食べたい気もするが、納豆巻も食べてしまった。もうすぐ16時。
先ほどのスーパーでは今夜の食事としてお蕎麦を買っている。写真を撮って、出発しよう。
道の駅に電話をして問い合わせたとき、美都の道の駅と同様に、「すぐ上にある温泉があります。歩いても行けますが…」と言われていた。
その道の駅が出てきた。道の駅を素通りし、まずはその上にあるという温泉を偵察しに車で向かった
道の駅のすぐ上にあったらしい温泉は、すでに営業停止していた。もう少し坂を登って走ると、宿泊設備を伴う玉峰山荘が現れた。
ここまで道の駅から歩くのはちょっと遠い。
16時過ぎだった。
このまま今回の旅のメイン大山に行ってしまってもいけない距離ではない。が、焦ることはない。
夫の体調も回復しているし、慌てることもない。
にぎわっている温泉を覗きに行くと家族風呂もあった。カラスの行水でもたまには精神的にのんびり入りたいと家族風呂を予約する。
岩風呂と檜風呂が選べるのだが、檜風呂の方が人気らしい。なぜか夫が檜風呂を選択していた。家のお風呂は檜風呂なのだから岩風呂の方がいいのに…(苦笑。涼しくなる時間、と18時に予約をしたのでその時間まで、近辺をパセ&ポプと散歩する。
温泉を利用したあと道の駅に移動するのも面倒だし、可能ならばここでP泊したい、と訊ねたら「一台ですか?」などといくつか質問されて、「どうぞ」と許可をいただいた。感謝。
温泉に入っている間、ダックスを留守番させている車(我が家と同じデリカD5)があった。驚くことに窓は全部締め切られている。まだ暑いくらいの気温で、心配でちらちら見ていた。家族が帰ってきて、元気で飛び出してきたからよかったけど…。
今回は少しの間、パセ&ポプにもお留守番してもらう。想像通り夕方の涼しさになってきたけれど、車の窓をすべて少しずつ開け、モスキートネットをする。窓を開けていると何を放り込まれるかわからないし、人が通るのがわかるとワンワン吠えて迷惑をかけるので、カーテンも閉めた。(が、帰った時には器用にも一部カーテンは開けられていた(-“-))
さて時間になったので家族風呂へと向かう。
さすが檜風呂! 檜の香りが充満してる。
って、この香りは絶対檜エキスをスプレーしているわ…。
湯船に入ると…、なにか違和感。
このお風呂、檜じゃな~い!!
湯船のヘリだけが檜になっていて浴槽は石だった。壁と床とヘリが檜なんて詐欺のようだ(苦笑。うちのお風呂は壁と天井と湯船が檜だけど、床が檜じゃなければやはり詐欺になるのだろうか…!? ま、檜風呂として売り出していないので勘弁してほしい。
一面が窓になっているのでサッシを開けると外からの風が入ってくる。これも見える景色は違うものの家の造りとそっくり(笑。しかし、となりには違う家族風呂があるらしい。そして、外には隣との間に仕切りがない。もし隣からも顔を出して顔を合わせてしまったらものすごく恥ずかしいことになる。顔を出したけれどあわてて引っ込めた。
夫が売店で買ってきてくれたビールで乾杯する。やっぱり家族風呂だよね。
ビールと温泉で火照ったままパセ&ポプの元へダッシュで帰る。のんびりしたいと言いつつ、ずいぶんと時間を余らせて出てしまうわたしたちだった(苦笑。
駐車場はもうがらんとしていた。5月5日の夜というと、すでにGWは終わっているのだろう。宿泊客もほぼ帰っている。
広い駐車スペースの端で小さなテーブルを出した。
風が強く、火照っていた身体も冷えていく。あっという間に、ダウンベストも着るくらいに寒くなった。
窓を閉めて寝る。
涼しいかと思ったが、意外なことに熱帯夜だった。
夜中パセリの姿が見つけられず狭い車内ながら探すと、助手席でひとり手足を伸ばしてのんびり寝ていた。
窓を少し開ける。
相変わらず風が強い。車が地震のように揺れる。
おかげで強風で車がバック転した夢を見てしまった。
約200km
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